2011年9月

ピアノが生まれる前

ピアノが誕生する前、クラヴィコードと、チェンバロと言うものがあったそうです。
クラヴィコードは、紀元14世紀ごろの誕生であると言われています。
ルネッサンス期に主流であったクラヴィコードの音域は、4オクターブ程度がほとんどで、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの愛用していたクラヴィコードは5オクターブあったそうです。
クラヴィコードは、とても簡単な構造をしており、2つの駒の上に張られている弦をタンジェントと呼ばれる別の駒で突き上げて音を出していたため、音量がとても小さく、現在のピアノで言うとピアニッシモからメゾ・ピアノ程度の音量しか出なかったため演奏会や合奏には不向きでした。
そのため、バロック期にはチェンバロに主流の座を奪われてしまいました。

先程も申し上げましたが、チェンバロはバロック期に登場いたしました。
別名でハープシコードとも呼ばれるチェンバロは、クラヴィコードよりは音量が大きかった反面で、ピアノでは欠かせない強弱をつけることができないと言う欠点がありました。
ちなみにチェンバロはドイツ語でハープシコードは英語です。
他にも、フランス語ではクラヴィアサン、イタリア語ではクラヴィチェンバロと呼ばれているそうです。
各国で違う呼び名がつくほどに、このチェンバロは世界各国で愛用された楽器なのだろうと思われます。
ただ、フランスでは、クープランやラモーなど著名な過去の作曲家たちがチェンバロ用の曲をたくさん作ったのに対し、ドイツではバッハでさえ、チェンバロ用の曲は「イタリア組曲」や「ゴールドベルグ変奏曲」くらいしか作られなかったようです。
このことから、ドイツではあまり主流にならなかったのかもしれませんね。

Posted by k | 2011年9月20日 14:06 |

ペダル・アップライトピアノの発明とエラール

1783年には、イギリスのジョン・ブロードウッドと言われる楽器製作者がペダルを発明しました。
ペダルは今ではピアノには欠かせないものですが、当時彼が発明するまでペダルは棚板下にあるレバーをひざで操作するタイプのダンパーだったなんて驚きですよね。
しかし、さらに驚いたことに、1791年に亡くなったモーツァルトは、ペダルの存在を知っていてもペダルの付いたピアノでは作曲をしなかったそうです。
ということは本来のモーツァルトの曲にはペダル記号はなかったということになります。

ダンパーペダルの演奏に与える効果はとても大きく、ベートーベンはブロードウッドの製作したピアノを愛用して、たくさんのピアノ曲を作ったといわれています。
ピアノの音域も5オクターブに広がり、さらに、ブロードウッドは1808年に鋳鉄プレートを持ったグランドピアノを考案していました。

そして1800年には、最初のアップライトピアノがホースキンによって発明されました。
鉄製のフレームを持っており、響板を支えるもので現在のアップライトピアノの原型といわれています。
ただ、音量が非常に小さかったため試作として終わってしまいました。

そして1821年にはフランス人であるピエール・エラールが、イギリスに渡り多くのピアノの改良をフランス革命が始まる前に行いました。
こうしてピアノはたくさんの楽器製作者たちによって、現在のピアノに少しずつ近づいていっているのです。

そしてこの後、かの有名な産業革命とフランス革命によって、ピアノはもっと急速に現代のピアノに近づいていきます

Posted by k | 2011年9月20日 14:06 |

エラールのレペティションレバー

フランスに生まれた、ピエール・エラールという名前の人物がいます。
彼は1809年に、フランス革命の前にイギリスに渡り、当時のピアノにたくさんの改良を加えていった人物です。
そしてその彼の発明の中でも、最高の発明であると言われているのが「レペティションレバー」の発明です。
これは、鍵盤の動作をハンマーという部分に伝えるジャックをすばやく始動位置に復帰させることにより、いままでよりも早く連続打鍵をすることができるようにするものです。

そしてその後の1821年には、これにさらに改良を加えてダブルレペティションが完成します。
これによって、打鍵した鍵盤を完全に始動位置に復帰させることをしなくても、次の打鍵を行うことができるようになりました。
エラールの発明はグランドピアノのためであったそうです。

1811年には、ロバート・ワーナムがバックチェック、ブライドルテープを発明します。
構造の都合でアップライトピアノにレペティション機構を採用することができなかったため、これらの機構の発明はアップライトピアノの演奏力を飛躍的に高める結果になりました。
今現在においても、この技術はアップライトピアノに採用されています。

また、余談ですが、このころに生まれた有名な作曲家として、1810年生まれのショパンやシューマン、1811年生まれのリストがいます。
特にリストは、1824年にエラールのピアノを演奏したという記録も残っています。

Posted by k | 2011年9月20日 14:06 |

ピアノの進化

1825年に、アメリカでボイラー工場を経営していた経営者のアルフェーズ・バブコックは本格的な鋳鉄製のフレームを作りました。
当時のピアノの音域は演奏者の要求があり、4オクターブであったものが次第に5オクターブに増え、6オクターブへと増えていき、木製の支柱のみでは鉄線や真鍮線であってもその張力を支えきれなくなっていたのです。
その結果、鉄骨でブロードウッドが補強し、バブコックが鋳鉄製フレームを考案するところにいたったのです。

そして1819に、ダイアモンドダイスが発明されて、1835年には精度の高くなった鋼鉄線が発明されると、ピアノに取り入れられました。
そうすることで、張力が10kgの鉄線のピアノ弦よりも、張力が80kgである鋼鉄線のピアノ弦のほうが比べ物にならないほど音量も大きく、倍音も豊かになりました。
このため、鋳鉄製のフレームでなければピアノの全張力を支えることはできなくなったのです。

そして1840年、チェッカーリングという人物がグランドピアノのために総鋳鉄製のフレームを考え出しました。
これは、バブコックのスクエアピアノ用鋳鉄フレームとは違って張力を計算に入れた本格的なもので、現在のピアノと同じようにチューニングピンの部分のプレートとアグラフブリッジを一体化したものだったそうです。

1845年にはチッカーリングは、スクウェアピアノに交叉式弦を発明します。
演奏者の要求のために6オクターブ以上の音域であったピアノの低音域の弦の長さは、ピアノ本体に収まりきれない長さになっていたのです。
そこで低音の弦は斜めに張ることによってピアノ本体の大きさを小さくすることができました。
さらに、アップライトピアノでは高さを低くすることでコンパクトにすることが可能になりました。
その後トーマス・ラウドという人物がそれをグランドピアノに採用したのです。

Posted by k | 2011年9月20日 14:06 |

ピアノの普及とスタンウェイ一族

産業革命によってピアノには大きな変化がもたらされました。
それは、アメリカでの大量生産による低価格化の進行とアップライトピアノの市民層への普及の拡大といった変化です。
このころでは低価格で良質なアップライトピアノがキンボールや、ボールドウィンなどによって大量に作られていたそうです。

その後、第二次世界大戦が勃発します。
この戦争の結果、ヨーロッパは荒れ果ててしまい、ドイツなどのピアノメーカーは生産を休止せざるを得なくなりました。
しかし、戦勝国であったアメリカにいたスタンウェイは戦後も生産を休止することもなく、コンサートグランドピアノの分野において確実に力をつけていったのでした。

スタンウェイという人物は、1849年にドイツからアメリカへと渡ります。
そしてスタンウェイの一族は1853年に、ニューヨークでアップライトピアノを作り始めました。
その後の1856年には、グランドピアノの製作に着手して、1859年には低音部の軟銅線を2重にして巻くという方法により弦の長さを短くすることに成功するのです。
すでに当時では、現代のピアノと同じ7オクターブと4分の1で、ペダルの2本付いたピアノが作られていたことでしょう。
そして、その後も第二次世界大戦の被災を免れた彼らは生産を続けていき、世界シェアを独占することができたのです。
スタンウェイのピアノは世界のあらゆるところで一流のピアニストたちに愛され続けているのです。

Posted by k | 2011年9月20日 14:06 |

カワイの歴史とピアノ

現在のカワイ(河合楽器製作所)は、創業者である「河合小市」という人物が、日本楽器製作所を退職したのちに"河合楽器研究所"を設立したことが始まりです。
河合小市氏が退職したあと、天才として有名だったという河合小市氏を慕って、日本楽器製作所で働いていた技術者たちも小市氏に続いて次々に退職していきました。
主な退職者としては、平出幸太郎氏、県松太郎氏、伊藤勝太郎氏、斉藤哲一氏、森健氏、杉本義次氏、青木金吉氏などが挙げられます。
彼らは、1928年にグランドピアノの製造を始めました。
その翌年である1929年には、"河合楽器研究所"を"河合楽器製作所"と改めました。
そして、小市氏の名声を知る楽器販売店たちが、続々と取り引きを希望したため、業績は年々大きく増えていきました。
1952年には小市氏が亡くなり、娘婿である「河合滋」という人物が社長に就任します。
河合滋氏は、は事業のさらなる大幅な拡大に成功しました。
そして1980年に、グランドピアノの専門工場である"河合楽器竜洋工場"が完成しました。
その翌年の1981年には、カワイフルコンサートグランド「EX」の生産が開始され、ますます河合楽器製作所は伸びていくことになります。

カワイは、現在の日本において、ヤマハと並ぶほどの知名度をもった代表的なピアノメーカーだと思います。
カワイの歴史を見ていると創造者である河合小市氏がいかに天才的であったかを感じることができます。

Posted by k | 2011年9月20日 14:06 |

ピアノの調律の必要性

人間が定期的に病院に行ったりして、悪いところを見つけて治さなければならないのと同じようにピアノにもそういうことが必要なのです。
人間は病院などで定期健診を受けますが、ピアノには調律師さんたちの手によって「調律」ということをしてあげなければなりません。
なぜなら、私たちの使っているピアノの中には、木材や羊の毛などの天然のものから作られている非常に精密な部品がたくさん使われているからです。
それらは、天然のものから作られているため、日々の気温の変化や湿度などにとても敏感です。
人間も、毎日の変化の中で生きていくうちに病気にかかっていくものですよね。
季節の変わりめに風邪をひいてしまうなんて人はたくさんいらっしゃるのではないでしょうか?
ピアノもそれと同じように、暑さや寒さなどの影響を受けて、音が変わっていってしまうのです。
ですから、ピアノは普段弾いていなくても、そこに置いてあるだけでどんどん音が変わってしまうということです。
また、ピアノの弦には、一本あたりに約90kgと、1台20tほどの強い力がいつもかかっているので、時間が過ぎることによっても、音が変わっていってしまうということです。
日々、ピアノもわたしたちと同じように生きているみたいですよね。

ピアノがいつまでも美しい音を出し続ける手助けをするために「調律」という行為はとても重要なことであるとわかります。
定期的に調律をすることを心がけることが、なじんだピアノといつまでも一緒にいるためには不可欠なのです。

Posted by k | 2011年9月20日 14:06 |

ピアノカバーについて

ほとんどのみなさんは、昔、幼稚園や保育園、学校などで見かけたことがあるだろうと思いますが、よくそういった施設などにあるピアノには、ピアノ本体をそっくりと包み込んでいるマントのような黒い大きなカバーがかかっていたりしますよね??
あの大きなカバーって、ピアノにとっては本当に必要なのでしょうか。
学校や幼稚園では必要不可欠なものであるということで使い続けられていました。
しかし長期的に見ると内部保護の観点から逆効果になってしまうことがあるのです。
たとえば、一般家庭でこのカバーをピアノにかけたまま4〜5年ほど放置してしまうと、害虫の巣になってしまったりするのです。
たとえそうならなかったとしても、ピアノの内部の空気と外の空気との交流がなくなってしまうため、部品である木やフェルトに水分が含まれてしまい、カビやさびなどの原因になってしまう可能性もあります。
アップライトピアノの上にかけるトップカバーについてですが、今の日本では必要不可欠なものであるという感覚で、ピアノの付属サービス品7つ道具のひとつとしてほとんどついてきていたものでした。
しかし、ピアノにとっては一種の飾りであり、特別な悪影響があるということではありませんが、外国ではほとんど使われていないそうです。
ただ、カバーをつけたまま放置してしまうのは、ピアノにとって良い影響が与えられるかどうかは微妙なところです。
ですので、定期的にピアノは使ってあげてくださいね。

Posted by k | 2011年9月20日 14:06 |

ピアノ調律師の状況

今現在のピアノの調律師の状況ですが、全国で毎年、だいたい100人ほどのピアノの調律師が生まれています。
それに対し、現在の家庭のピアノは、販売台数も減っており、飽和状態にあります。
調律の必要性のない電子ピアノが普及していっていることも背景に、ピアノの需要は現在下降気味であると言えます。
そんな状態の中で、楽器販売店の中には、調律師にピアノの販売数のノルマを要求するところがあったりと、決して簡単な仕事ではないのです。
こう言ってしまうと、ピアノの調律師なんてならないほうがいいのかなぁと感じてしまうかもしれませんが、決してそう思ってほしくて言っているわけではありません。
ただ、こういったこともあります。という紹介です。
最近では、会社を定年退職したあとや、お子様が育って自立していったあとなどに、自分の楽しみとして、趣味として、高価なピアノを買い求めて、一生懸命に練習している人たちがだんだんと増えていっているのです。
そのため、ピアノを大切に使っている人に、現在お使いのピアノをより長く、より良い状態で弾いていくために、やはり今後もピアノの調律師の方々の活躍は期待されます。

よく、ピアノ調律師になるためには、絶対音感があったほうが良いとか、ピアノが上手に弾けないとよくないとか思われている方がいらっしゃいますが、決してそうではありません。
基本的に調律師は、2つの音の"うなり"というものを聞いて調律をしています。
むしろこの感覚に絶対音感が邪魔になってしまうということもあるといいます。
この"うなり"を聞くことができるようになるには、とにかく訓練することが大切です。
一度聞き分けることができるようになると、体が覚えてしまうので、年をとってもその感覚を忘れることはないといわれます。

それに、調律師になるために必要な演奏経験はありません。
手の大きさがオクターブに届くほどあり、音階がスムーズに弾ければ良いのです。

Posted by k | 2011年9月20日 14:06 |

ピアノグレード

ピアノには、国家試験などの定められた資格や試験などはまだハッキリありませんが、やはり、ピアノを学んでいるうちに、自分が今どれくらいのレベルであるのか気になるときは多々あると思われます。
そんなとき、多くの人たちが受けるのがグレードです。
有名なヤマハのグレードとカワイのグレードがありますが、ここではヤマハのグレードについて少しお話しすることにいたします。

ヤマハのグレードは、1級から13級まであります。
さらに細かく分類がされており、13級から11級が鍵盤初期学習者用で、10級から6級はピアノ学習者のためのグレード。
指導者のためのグレードは5級から3級となっており、それより上の2級と1級は、演奏者のグレードとなっているようです。
簡単に説明しましたが、この上の級の試験は非常に難しく、合格者は多くありません。

ただ、冒頭にも記述しましたように、国家試験などではないため、ヤマハでとったグレードはヤマハ内でしか通用しないと言う話を耳にすることもあります。
ですがヤマハのグレードなどは知名度も高いので、その取得が難しいという知識を持った方にはすんなりと理解していただけるでしょう。
反対に、まったくピアノの知識のない人が聞いても、あまり感心は得られないかもしれませんが・・・。
それでもピアノグレードは、今自分がどのあたりのレベルの演奏力を持っているのかの目安にすることができます。

資格のために取るのではなく、自分のために取るといった感覚で挑戦してみるのがいいですね。

Posted by k | 2011年9月20日 14:06 |

ピアノ練習曲1

みなさんは、ピアノの練習をするとき、どのような曲を弾いて練習していらっしゃいますか??
ピアノの教室に通っている方も、独学で習っている方も、先生や書籍などから個人個人のレベルにあった練習曲を課題として習っていることと思われます。

ほとんどの練習曲といったものには、曲ごとに修得するべき演奏技術が含まれており、その技術を曲の中で繰り返し弾くなどすることで、その演奏技術をマスターするという形になっているようです。
そして、このような練習曲は、教育的な練習曲のため、単調なリズムや、同じような音をただただ繰り返しているだけになりがちなため、あまり人に聴かせるためのものではないということがほとんどです。

こういった練習曲には、大きく2つの種類にわけることができます。
ひとつが、ハノンやブラームスといったピアノの練習曲に代表されるものです。
これらの練習曲は、単純な音やリズムを繰り返し練習することにより、演奏技術の向上を目的として作られています。
ただ、ほとんどの場合に、こういった曲が発表会などの人に聴かせる場で用いられることはめったにありません。

もうひとつは、単純な音とリズムを繰り返し練習することを中心としながらも、人に聴かせる音楽として成り立っているものです。
これらに代表されるのは、ツェルニーなどのピアノ練習曲が挙げられます。
ツェルニーの練習曲などは、先程の練習曲に比べればですが、時に発表会などの人に聴かせる場でも使われる場合があります。

Posted by k | 2011年9月20日 14:06 |

ピアノ練習曲2

ハノンやブラームスに代表される、いわば機械的な練習曲とは異なった、上級者向けの練習曲というものがあります。
みなさんもピアノを練習していけば、いつかは初心者ではなくなり、上級者のレベルに到達するわけです。
初心者のかたに練習が必要なように、上級者となっても練習は必要なのです。
というか、ピアノには終わりがありませんので、どこまでも高みを目指していけるのですが・・・。

昔の著名な演奏家たちもはじめは初心者であり、しだいに上級者になり、これらの上級者向けの練習曲ができあがったわけです。
それに代表されるものが、ショパンの練習曲Op.10, Op.25やリストの超絶技巧練習曲などがあります。

これらは、ハノンやブラームスによる練習曲とは異なった、どちらかというと芸術的な練習曲と言えるでしょう。
もちろん、練習曲としてこれらの曲に取り組む人もいれば、発表会などの演奏会で弾くために練習に取り組む人などさまざまです。
ただ、これらも練習曲といわれるからには、特定の演奏技術の修得のために曲が作られているものがほとんどのため、人にも聴かせられるうえに、自分の演奏技術の向上もはかれるというおいしい練習曲ということになります。
なかには、自分自身の演奏技術の向上のために作られた、指の独立運動などの基礎練習を中心として考えられて作られた曲などもあるそうです。

ピアノとは奥が深いもので、本当にたくさんの練習曲がありますので、みなさんも自分自身のレベルにあった練習曲に取り組んでみてください。

Posted by k | 2011年9月20日 14:06 |

ピアノ練習曲3

みなさんは、普段の練習曲には何をお使いですか??
なかにはピアノを独学ではじめてみたいけれど、何の練習曲から取り組めばいいのかよくわからない・・・。
今自分が練習している曲は、どれくらいのレベルなんだろうか。
などなど、心に浮かんでくる疑問はさまざまであろうと思いますが、ここでは簡単に、練習曲について解説したいと思います。

まず、もっとも初歩的であり、ピアノを取り組み始めた方によく使われるのがツェルニーの100番です。
ツェルニーには、先程申し上げました100番 Op.139 のほかに、110番 Op.435 、30番 Op.849 、40番 Op.299 、50番 Op.740(699)、60番 Op.365 があります。
そして、ツェルニーの100番を終えたあとによく使用されるといわれているのが、ブルグミュラーの25の練習曲 Op.100というものです。
さらに、指の運動によく使われる、ハノンの60の練習曲などがあります。
他にもモシェレスの24の練習曲 Op.70や、クラーマー=ビューローの60の練習曲。
ブラームスの51の練習曲 WoO.6や、 モシュコフスキの15の練習曲 Op.72、 バルトークのミクロコスモス、クレメンティ のグラドゥス・アド・パルナスムなど探してみるとたくさんあるのです。
先程紹介しましたバルトークの練習曲はコンサート・レパートリーとなっている曲なども含まれていて、弾きがいがあるかもしれません。

練習曲にもさまざまあり、最初のうちは鍵盤に慣れることが必要不可欠ですが、だんだん慣れてきていろいろ弾くことが出来るようになってきたら、自分の苦手な分野(指の動かし方など)にあった練習曲を探してみるのもいいかもしれませんね。

Posted by k | 2011年9月20日 14:06 |

上級者向けピアノ練習曲

ここでは、初心者の方には難しいと思われる、上級者の方向けのピアノ練習曲を簡単に、ご紹介いたします。
ピアノが上達したからといって、気を抜いてはいけません。
ピアノはさぼっているとすぐに弾けなくなります。
個人差があるとはいえ、ピアノというものは、弾きこめば弾きこむほどに上達していくものです。
ある程度ピアノが上達して、だいたいの曲は少し練習するだけで弾くことが出来るようになってしまうと、だんだんそれに慣れてしまいます。
そうするとなかなか難しい曲に挑戦しようという気持ちにならず、自分と同じレベルの曲ばかり弾いてしまってなかなか上達できませんよね。
そうならないためにも、少し難しい練習曲に挑戦してみましょう。

たとえば、バッハの平均律クラヴィーア曲集。第3巻はオルガンの練習曲がほとんどのようですが、第1巻と第2巻はオススメです。
他にもショパン の練習曲集 Op.10には12曲入っており、『別れの曲』、『黒鍵』、『革命のエチュード』 などは有名ですね!!!
練習曲といいながらも、タイトルがつくほど曲として完成度の高いものになっていると思います。ショパンのOp.25も12曲あり、練習曲に最適です。
シューマンの交響的練習曲 Op.13や、リストの超絶技巧練習曲(12曲)はどこかで聞いたことがあるのではないでしょうか。
他にも、パガニーニの主題による大練習曲や、アルカンの長調による練習曲 Op.35、短調による練習曲 Op.39など、上級者向けの練習曲も本当にたくさんあります。
それだけ、今までのピアノの歴史のなかに、ピアノを極めていった人がたくさんいたということになるのでしょうね。

Posted by k | 2011年9月20日 14:06 |

ショパンのピアノ練習曲1

ポーランドに生まれた、「ピアノの詩人」としても名高い"フレデリック・ショパン"をご存知でしょうか。
彼の作曲したピアノの練習曲は、全部で27曲あります。
これらの曲は、演奏会などで取り扱われることも多く、中には練習曲にもかかわらず、タイトルのようなものがついて親しまれているものもあります。
12の練習曲 Op.10と、12の練習曲 Op.25と、3つの新練習曲の3つの曲集からなる彼の練習曲は高度なものが多く、なかなか初心者には練習曲として弾くことを許しません。
ここでは、12の練習曲 Op.10について、簡単にご説明したいと思います。

この12の練習曲 Op.10の初版が発売されたのは、1833年ですが1829年にその一部はすでに作曲されていました。
当時のショパンは23歳で、若くしてすでに、当時のパリのサロンでは有名な作曲家として、ピアニストとして、多くの貴族に認められていました。
この曲集は、当時作曲活動に熱心にとりくんでいた"フランツ・リスト"にささげられることとなり、この曲集は、2人が知り合うきっかけにもなったのです。

まず、簡単に紹介ですが、第1番 ハ長調、第2番 イ短調、第3番 ホ長調 『別れの曲』、第4番 嬰ハ短調、第5番 変ト長調 『黒鍵』、第6番 変ホ短調、第7番 ハ長調、第8番 ヘ長調、第9番 ヘ短調、第10番 変イ長調、第11番 変ホ長調、第12番 ハ短調 『革命』となっています。

第3番の『別れの曲』というタイトルの由来は、ショパンを題材にしたフランス映画の邦題であるそうです。
そのため、このように称されるのは日本のみであり、原題は「Tristesse」となっており、その意味は「悲しみ(哀しみ)」や「憂鬱」です。

Posted by k | 2011年9月20日 14:06 |

ショパンのピアノ練習曲2

ピアノの詩人として名高い、ポーランド生まれのピアニストである「フレデリック・ショパン」という人物がいました。
彼の作曲した多くのピアノ練習曲は、多くの人たちに愛され、中にはタイトルまでついたものもあります。
3つの曲集からなる彼のピアノ練習曲は全部で27曲あります。
ここでは、12の練習曲 Op.25について、簡単に説明させていただきたいと思います。

まず、この曲集が作曲された年代は1832年〜1836年といわれていて、出版されたのは、1837年ごろだそうです。

曲目は、順に、第1番 変イ長調 『エオリアン・ハープ』、第2番 ヘ短調、第3番 ヘ長調、第4番 イ短調、第5番 ホ短調、第6番 嬰ト短調、第7番 嬰ハ短調 『恋の二重唱』、第8番 変ニ長調、第9番 変ト長調 『蝶々』、第10番 ロ短調、第11番 イ短調 『木枯らし』、第12番 ハ短調 『大洋』となっています。

第1番の、「エオリアン・ハープ」のほかにも、「羊飼いの少年」と言われることもありますが、みなさんはどちらの方をよく耳にしますか??
第8番の変ニ長調は、練習曲の中でも練習曲にふさわしいものと言われており、演奏会などの前に練習のために弾くのが良いと言うピアニストもいるほどだそうです。
この曲集に含まれる、第11番の「木枯らし」は、聴き手に不思議な印象を与える技巧が含まれていたり、第9番の『蝶々』などは、練習曲の中でも最も短いですが、弾きこなすには、大変な練習を要する曲のひとつでもあります。

Posted by k | 2011年9月20日 14:06 |

ブラームス

19世紀のドイツの作曲家であり、ドイツ音楽における「三大B」の一人として知られている"ヨハネス=ブラームス"をご存知でしょうか。
彼の作風は、ロマン派音楽の範疇にありますが、古典主義的な面も強いといわれています。

ブラームスがベートーヴェンの後継者であると信じている人はたくさんおり、指揮者であるハンス・フォン・ビューローは、彼の交響曲第1番を「ベートーヴェンの交響曲第10番」と呼び、今もそのタイトルが広く使われているほどです。

ブラームスは、1833年に生まれ、1897年に没する64年を生きました。
ハンブルクで生まれた彼に、最初のピアノのレッスンを施したのは、市民劇場でコントラバス奏者をやっていた父でした。
10歳のころ、ピアニストであり、作曲家であったエドゥアルド・マルクスゼンという人物に弟子入りをして、才能を開花させていきました。
彼はレストランや、居酒屋でピアノを演奏することで家計を助けました。
ブラームスは同時期のピアニストたちに比べ目立たない存在ではあったが、そのピアノの腕は、1859年と1881年に、ピアノ協奏曲第1番とピアノ協奏曲第2番の初演を自分で行ったところからも推測できます。
事実、この2曲は共に難易度が高く、これを弾きこなしたブラームスは、非常に高い演奏技術の持ち主だっただろうことがうかがえます。

10歳で弟子入りをした彼だが、19歳以前の作品は、記録はあっても現存しません。
なぜなら、次第に演奏活動よりも創作活動に興味を持っていったブラームスは、作曲を始めたが、自己批判から作品を廃棄してしまったからです。

Posted by k | 2011年9月20日 14:06 |

ブラームスの個性

ピアノの練習曲の作曲家としても有名な"ヨハネス=ブラームス"は、大くのロマン派の作曲家と同じように、ベートーヴェンを崇拝していた。
彼の個性は、ベートーヴェンに近いものがあったという。
自然を愛し、たびたび散歩にでかけては、たびたび子供たちに、キャンディをあげる。
その反面、大人に対しては、無愛想にふるまうことが多かったという。
自分の気持ちを素直に伝えることを苦手とし、自分の作品を語ることすらも嫌がるほどだったそうだ。
しかしながら、ピアニストとして優れていたため、友人のサロンなどで、たびたび演奏を求められた。
しかし、その要求に応じることはあまり多くなく、ときに応じたとしても、弾き飛ばして「早く終わらせてしまおう」といった様子を見せることが多かったという。
こうした性格から、時々人々を疎遠にもした。

彼には、ただ一人だが弟子がいて、名前をグスタフ・イェナーという。
グスタフ・イェナーによると、音楽的に間違った音はまったく弾くことを許さず、曲の出来が悪いときは容赦のない罵倒をあびせられた。
しかし、そのあとで、励ましの言葉をかけるなど優しい一面もあったそうだ。

ブラームスは、作品が人気を博し、経済的に豊かとなっても、質素な生活を好んだ。
朝はプラーター公園に散歩に行き、昼どきには「赤いはりねずみ」というレストランに出かけるのが彼の習慣だったそうだ。
彼のすごいところとして、自分が質素な生活を送る一方で、親戚たちへは金品を惜しみなく渡し、さらには匿名で多くの若い音楽家を支援したということだ。

Posted by k | 2011年9月20日 14:06 |

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